牧師コラム 2004.05.01

シリーズ第1弾 「あのさ、もうやめようよ。占いとかおみくじとか」

さて、今回も「もうやめようよ」シリーズ第2弾、占いに続き、「あのさ、もうやめようよ。宗教なんて!」をお届けします。

 「あれ?ちょっと待てよ。これって教会のホームページじゃなかったっけ?宗教やめるって、どういうこと?」と思って下さった方は、お礼を申し上げます。その反応が欲しくてこのテーマをつけました。

 本来、宗教ってのは、人が神を信じる心を持つことによって、穏やかに健やかに過ごせるといった意味で、良いものだったはずです。宗教法人というのも、利益目的じゃないからこそ、作られたものでしょう。けれども、今日現存する新興宗教の多くは、教祖だけが高級車に乗ったりして潤っています。あるいは、不可解な宗教が、メディアで取り上げられては、社会的問題を起こし、多くの人が、宗教に対して、拒否反応示しています。

 わたしも何を隠そう誰よりも、「宗教」が大嫌いです!私は生理的に宗教は受け付けないタイプの合理的な人間です。宗教とは、人の様々の努力(善行、修行、悟り、律法、懺悔、お布施その他諸々)によって、罪をゆるしてもらい、神に到達しようとするものです。その努力によって、神に近付けた方は誰でしょうか?もし、悟りを開いて物事が見えてくるならば、なおのこと、自分がいかに汚く、いかなる行いも神には到達できないことがわかるのではないでしょうか?私自身もかつて、神の聖さに預かりたく、激しく努力をしたことがありましたが、祈れば祈るほど、神と自分との距離がいかに遠いかを痛感させられました。

 聖書の示す通り、「人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができない」のです。

 ですから、キリスト教として、立派なクリスチャンになろう、聖書の戒めを守ろう、そしてなんとかして、それを維持し続け、救われる。それは、「キリスト教」という宗教に他なりません。なんとキリスト教をやってる方が多いことか!復活のキリストなんてどうでもよく、聖書の言葉に単なる心地良さを覚えたり、教会の運営や組織だけに夢中な人。たくさんいますよ。 その人は、神につながってるのではありません。キリスト教はやってるかもしれませんが、クリスチャンじゃありません。

 私は、今も生きておられる神と私個人が、密接にリンクして、共に生きているのです。あなたはどうですか?

 人が神に求める下から上の図式を「宗教」と呼びます。それに対して、神が人へ降りてくださった上から下の図式をちょっと難しい言葉ですが「啓示」と呼びます。

  永遠のいのちは、宗教では手に入りません。神からのプレゼントです。プレゼントはただ受け取るだけです。そうです。信仰とは、ただありがとうと言って受け取るだけです。すべてイエスキリストが十字架の上で救いを完成してくださいました。それに私たち人間が何一つ付け加えることはできません。

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からのプレゼント(賜物)です!行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」エペソ2:8、9

  God bless you in everycircumstance!!