牧師コラム 2003.07.01

「この世紀末に平和がもたらされるには」

近年、映画界、音楽、書籍どの分野においても「この世の終わり」「世紀末」「世界の最期」が取り上げられ、謳われている。そして、私たちもそれが気になるのはなぜか? 世界の戦争、新伝染病のせいだろうか?それとも、この世界に氾濫する悪のせいだろうか?あるいは、各個人が悩み持つ罪深さのせいだろうか?

 7月4日にアメリカはインディペンデンス・ディ(独立記念日)を迎えた。ニュースの中で、幾人かのアメリカ人へのインタビューがなされた。共通する答えは、「No more war」もう戦争はいらない、というものであった。

アメリカ・イラク戦争についていえば、アメリカはキリスト教国なのに、なぜ戦争を仕掛けるのか?ブッシュ大統領はクリスチャンなのに、なぜ戦いを好むのか?果たしてなんのための戦争なのか?アメリカ人でさえも多くの人が疑問に思っている。あなたはこの問いにどう答えるだろうか? クリスチャンであるなら答えを用意しておくべき問いである。

私から言わせれば、確かにブッシュは教会に属している教会員だが(それを敬虔なキリスト教徒と一般は判断する)、だからと言って、神の御旨を知ることができるかと言ったらそうではない。クリスチャンであっても、罪赦された罪人(すべての人が罪人であるが、それを認めた者)である。

もし、神を信じてると言っても、自分の罪深さに目を留めない者は、すぐに人の間違いやあらを探すだけの者になってしまう。国として、非を認めれない、引き下がれない、進むしかないといった迷信を振り払える勇気のある政治家が必要だ。日本においても同じ過ちをかかえたまま、いまだにその迷信に縛られている。韓国をはじめ、東南アジア諸国に対して。

そして、ブッシュ批判を安易にする人こそ、まさにブッシュ的罪に陥ってると言える。あの人はどうか、とジャッジする前に、自分はどうなのか!を問うていきたい。本当の自分を知れば知るほど、他者に誇れるものはいないはずである。国家と個人は無縁ではない。個人の集合体が国家なのだから。

もちろん、アメリカ政府が聖書に従ってるとは言えない。アメリカでは、「朝祷会」というものがあり、大統領と高官たち、そして著名な牧師を招いて、breakfastの中で祈りの時を持つ。みなで祈った後に「さあ!イラクを叩くぞ!」となるらしい。神に祈ったあとで、攻撃しようとなる気持ちがまったく理解できない。

 そこには「正義」しか出てこないからである。正義は必要である。でも正義で人も世界も変えることは絶対できない。なぜなら、正義を主張する際、必ず、相手側は「悪」となるからだ。その場合、謝罪と屈服を要求する。そして、必ず人はそれに反発するはずだ。やがて戦争になるのである。

 なぜ、アメリカは攻撃するのか、なぜイラクは自爆までもしてテロを続けるのか、それまでの経緯、イスラエル問題。また石油問題。その中に潜む複雑な民族的、経済的、また遠い歴史にまでさかのぼる事情を把握しているのだろうか。

若者たちは、本当によく学んでほしい。そして、鋭い洞察力と熱いパッションを持ち、行動する人になってほしい。

深い世界を掘り起こすものは誰か?広い世界に立って見渡す者は誰か?

メディアの世界だけでなく、宗教の世界でも「世の終わり」がCMとして売り出されている。やはり効果があるのだろうか、多くの人が迷い入信してしまう。社会を賑わせているカルト宗教は、ほとんどその類だ。

 カルトの活動が目立っているため、キリスト教会がなかなか大胆に言えないでいるが、聖書もはっきりと、終末を語っている。「 終わりのときはやってくる 」と。しかしその日は誰も知らない。「いついつ、このように始まる」と言う者はすべて偽預言者だと警戒も強めている。私たちイエス・キリストを来るべきメシヤと信じるクリスチャンは、その時はいつかはわからないが、いつきても大丈夫なように、真夜中の花嫁のように備えをしなければならない。そして、 唯一の救いであるキリストの十字架の福音をどんな情勢でも語りつづけなければならない。そして、自分こそもっとも神の前で罪深い者であるとへりくだりつつ、人を赦し、愛していくものでありたいと祈らされる。そこに平和があるのではないだろうか。