牧師メッセージ 2005.01.09

Go to your NEXT STAGE Vol.2

申命記1:7

もうそろそろ新年気分は終わりかと思いますが、先週に引き続き、新しい年の初めにどうしても私たちは、決意を新たにしなければならない、次のステップに進んでいかなくてわっていうことで、Go to your next stage「2」をお送りします。

先週の簡単なレビューしますと、

イザヤを通して、「見よ、今新しいことが起ころうとしている。あなたは知らないのか?」

私たちは新しい変化を願いつつも、今のポジションでいるのがやっぱり楽で、多くの人は、変化を嫌う。自分の今までの築き上げてきたアイデンティティーを崩せない。培ってきた習慣や価値観をゆずれない。変わることを拒む。でも、聖書は常に言います。Repent! Change!! ヨハネもイエスも、まず一番目のメッセージとして、悔い改めなさい。単なるごめんなさいじゃない。あなたの人生の方向性を変えなさいということを受け取ってまいりました。

今年こそは、一歩を踏み出していきたい。教会においても個人においても、目標を掲げ、ビジョンを抱き、前進していこう。 自分のためでなく、キリストのために 、私たちは新たにされていきたい、ってことをお話しました。

今日の聖書の箇所は、申命記1章7節

主は言われます。「向きを変えて、出発せよ。向きを変えて、出発せよ。そしてエモリ人の山地に行き、その近隣のすべての地、アラバ、山地、低地、ネゲブ、海辺、カナン人の地、レバノン、さらにあの大河ユーフラテス川にまで行け。」

申命記の11章24節。「あなたがたが足の裏で踏む所は、ことごとくあなたがたのものとなる。あなたがたの領土は荒野からレバノンまで、あの川、ユ一フラテス川から西の海までとなる。」

“Every place on which the sole of your foot treads shall be yours: from the wilderness and Lebanon, from the river, the River Euphrates, even to the Western Sea, shall be your territory.

あなたの足で踏み歩くとこは、あなたのテリトリーとなる。歩き回らなきゃもったいない。

でも考えてください。北は、ヘルモン山、南はエジプト、西は地中海、東はユーフラテスという大きな大きな、スケールの壮大なビジョン。そこで聞いていた民衆はその壮大さにびっくりして、足がすくんだと思いますね。え〜〜自分たちには、とてもじゃないけど、無理ですよ〜。「冗談じゃないんですか?神様」そう疑ったに違いありません。

皆さんはどうでしょうか? 主は私たちにも語っています。「北は御津町、南は奉還町。西は一宮、東は御野。」いや〜神様広すぎませんか?足がガクガクすくみますか? でも私たち津島教会は、岡山市北部のチャーチプランティングミニストリーを主からゆだねられている。岡山市北部は、比較的教会の設置率が少ない。ダビデ先生がリサーチして、だからこそここを選んだんです。(宣教師というのは、教会の未設置地域へ開拓していくんです。)ですから、人口の増加は著しいのだが、教会が少ない。それが岡山市北部です。

この地域はですね、特徴として、大学が4つある。(岡大。理科大。清心。商大)学生の多い町。

それから、留学生会館や、国際交流センターなどがあり、この地域は外国人が多いんです。とてもインターナショナルな場所。

それから、この町は、ミュージシャンガ多いんです。私の知っているだけで、音楽スタジオが3つあります。ピアノ教室や音楽教室も多いですよね。つまり、ミュージック、音楽に携わってる方が多いんです。この教会にも音楽ができる方、好きな方、歌の上手な方が多いです。

私たちはそういう分野に、そういう方々に、アプローチしていくビジョン・使命があるんです。

私たちは、この今の現状の規模としては、非常に壮大なスケールで未来を見ています。まぼろしを見て、実行に移していきます。

どうです?胸がワクワクしてきます? 「は〜ん、あっそ、だから?」って思います?

ぜひ、皆さん、傍観者じゃなく、ストーリーに参加してください。それを決めるのはあなたです。これ、ずいぶん恵みが違いますよ。外野にいる者の恵みとフィールドに立つ者が受ける恵みは雲泥の差、です。

ヨハネ福音書5章1〜9節(新約聖書、142ページ)に、こういう記事があります。

ベデスダの池があって、そこのある一人の、38年間も病気で動けない人がおった。

イエス様はですね、彼を見つけて、こう言ったんです。「よくなりたいか。」そしたら、どう答えたと思います?「はい。よくなりたいです。Yes, I do」って言えばいいのに、こう言ったんです。

「主よ。水が動いたとき、誰も池の中に私を入れてくれる人がいませ〜ん。行こうとすると、もうほかの人が先に降りて行っちゃうんです。」(水が動くと、天使が降りてきて、その水に入ると癒されるという迷信があった)

な〜んですか、この人の答え。愚痴ですよ。イエス様の質問に答えてませんよね。彼の問題点は3つ。主語と動詞と形容詞です。

①彼は、「周りの人は、何もしてくれません。水がなかなか動きません。動いた時に誰も入れてくれません。ほかの人が入っていきます。」いっつも主語が別の人です。そうじゃない。私という主語で語りなさい。「あなた」は何を願っているのか。誰があなたの意思決定をするのか。

人ではなく、「私」がと主語をチェンジしなさい。

② それから、この人は「誰も運んでいってくれません。担いでくれませ〜ん」要は、受動態です。受身なんです。イエス様は「病気に担がれているのをやめなさい。あなたが担ぎなさい!」病気だから、私はこうこうであうで、こういう理由だから、おんぶされてます、じゃないんです。担ぎなさい!プラスに変えていきなさい!受動態から能動態に、マイナス思考からプラス思考に変われということです。なにかください。やってください。それをもうやめなさいよ。

私は〜される側。お客様意識。あ〜残念です。私は神様の恵みを運ぶ側になったら、喜びが7の70倍増えますよ!お客様意識、される側をやめて、私が「します!」と動詞をチェンジしなさい。

③そして、生きる向きの方向性。彼はいつも後ろ向きでした。考え方もネガティブだったので、よくなりたいのかという質問に愚痴が出ちゃうんです。皆さんもどうですか?すぐに、マイナスの言葉が出てくる人は、後ろ向きです。「あいつがな〜」「ああじゃなかったら〜」

パウロは(ピリピの3章で)言いました。「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、目標を目ざして一心に走っている!」なかなか私たちは前のものになかなか手が届きません。簡単に目標をつかめたらいいでしょう。しかし、なかなかつかめない。でもつかもうと 前に向かって 進んでいく!方向性をチェンジしなさい。

イエス様は、とんちんかんな答えをするこの人に「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」と言われました。そして、彼は歩こうと決めたんです。そしたら、足に血がめぐっていって、筋肉が生じて、スジやケンが正常になって、たちまち歩けるようになった!イエス様は、かかえて手伝わない。それはあなたの私たちの分野です。神様はすでに「もう今新しいことをしようとしている」といわれる。それを信じて、動こうとするか、何もしないでいるかを決めるのは私たちです。あなたです。

よく教会では、まぼろしを語るんですね。ビジョンを語る会とか話し合うけれども、それを実行しない教会たくさん見てきました。去年と今年、なんら変化のない教会いっぱいありました。

私たちは、そうでありたくない。いや、もう動き出している。

ただ待っているだけの、ただ人任せの傍観者をやめましょう!傍観者になって、批判するのは簡単です。でも、自分が主体的になって責任を負っていくのは、それは大変なことです。でもそこの大変なところを通ってじゃないと、わからない神様の恵みがたくさんあります。

この38年間動けなかった人のように、人の態度ばっかり気にして、過去を悔やみ、人を恨み、あ〜何かいいことないだろうか。それをやめて、あなたが意思決定をしなさい。 

「私は、その言葉に引き下げられません。影響されません。私は誰かによって不幸になりません。私は神様のゆえに、必ず幸せになっていきます。」このように言っていきたいものです。

皆さん、これから先、将来が楽しみでしょうか。もう私はですね、今も幸せですけど、さらに幸せになっていきます。Are you exciting your future? I am already happy now, but I’m getting more happier! Make a decision about that.そのような意思決定をなさっているでしょうか?

観客じゃない、舞台の上に全員が上ってください。立ち見も特等席もいらないんです。舞台にあがりましょう!主役であるイエス様のために、私たちはいろんな脇役、あるいは裏方さんかもしれない、しかし舞台の上にあがろうではありませんか!津島教会に来たら、みんな舞台に上がってほしいです。

一人一人が主の書かれたシナリオの舞台に、歴史に参加していくことを願います。

そのために単なるクリスチャンをやめて、主イエスの弟子となりましょう。イエス様が歩まれたように、私たちもその足跡をならっていきたい。「いや〜私には無理です〜。とんでもないです。スケールが大きすぎるし、私には負担です。」

皆さん「神に不可能なことは一つもありません。できるならというのか、信じる者にはどんなことでもできるのです。」アーメン 信じますか? 主に従っていこうと心から願い、一歩を踏み出すなら、驚くほど、道が開かれ、やがてNEXT STAGEに進むでしょう。信仰の決断が必要です。

最後に、同じ申命記1章40節で、同じような言葉が出てきます。「あなたがたは向きを変え、葦の海への道を荒野に向かって旅立て。」

荒野は困難を指します。前途多難を指します。先が見えないわからない、何もない状態のような荒野に向かって、そのようなところへ信仰をもって、出発しなさい。旅立ちなさい、そう言っておられるのであります。私たちは信仰の寄留者、旅人です。どっかで留まらず、主が与えてくださるチャレンジに出発しなければなりません!しかし全能の主がその全道中共におられます。

先がわかって見えてるものに、信仰はいりません。「信仰は目に見えない事柄を保証するものです。」信仰のアドベンチャーです。

向きを変えて出発せよ!向きを変えて出発しなさい!起きて、あなたの床を取り上げ、そして歩きなさい!今日、神はひとりひとりに語っておられます。Go! Go to your next stage!