牧師メッセージ 2005.01.02

Go to your NEXT STAGE!! Vol.1

イザヤ43:19

Happy new year in Christ!! 主にあって、あけましておめでとうございます。年が変われども、なんら重荷のどっぶり、大変な状況を進んでいかなきゃならないって人もいるでしょう。ホントにおめでとうって言われても、ちっともおめでたくないって人もいますよ。でも、どんな人でもこうは言える。「主にあってあけましておめでとう」

この聖書の書かれた狭い意味での「新しい」こととは、バビロン捕囚からの解放。それまでバビロニア帝国の属国となっていたイスラエルが、解放される。どういう形を通して、解放されるのか? 45:1を見れば、すでにクロスを立てたとあります。つまり次の地中海沿岸を支配する帝国、ペルシャ帝国の王様です。クロスを通して、イスラエルをバビロンから解放するという約束です。ペルシャのクロスは、イスラエル民族に帰還することをゆるします。

(地中海沿岸の帝国の移り変わり:エジプト⇒アッシリア⇒バビロニア⇒ペルシャ⇒ギリシャ⇒ローマ)

もっと広い意味で言うなら、25節 つまり、イザヤの後半はメシヤ預言に満ちている。その新しい約束は、あなたの罪をもう思い出さない。ぬぐい去る。キリストの十字架による救いをあらわしています。「見よ。新しいことが・・・」それは、今までの古い契約、律法によって、義とされる。律法を守ることによって救われるという、規定が、新しくされる。45:22「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ」つまり、救いがイスラエルに限らず、全人類におよび、そして、キリストを仰ぎ見る者は救われる!っていう、聖書全体のメッセージでもあります。

ちなみに、イザヤ書の説明を簡単にしますと、全部で66章。そして、大きく二つ分けることができます。前半が1~39章までと、40章(あの「わしのように翼をかって登ることができる」)~66章までです。前半が裁きのメッセージが多いのですが、40章からガラっと変わって、希望と救い主の具体的預言に満ちている。ここで何か思い出しませんか?聖書は全部で何巻ですか?そう。66巻です。旧約聖書が39巻。新約が27巻。イザヤ書は、聖書全体を現しているといわれています。

そして、現在の私たちにもこのメッセージは語られている。

(聖書の預言は、Wミーニングを持つものがあります。つまり、その時代での預言と、現代の今の私たちに関わる預言です。ダニエル書とかそうです。)

「見よ。今新しいことが起ころうとしている。」これは、当時のイスラエルに言えることですが、それと同時に、それは、あなたにも言えることです。あなたに新しいことが起ころうとしている!

皆さん、年の初めに何を期待しますか?新年の抱負。今年の目標をお互い語りますよね。その冒頭に必ず、「今年こそは・・・」と語ります。

私たちは新しさを求めます。常に次のステップへといかなくちゃと思いますよね?僕は、いつでもそう思ってますよ。このままで甘んじてたら、もうこのまま何も変わらない。次を望むときに、次が見えてくる。教会はよく「ビジョン」というものを掲げます。どこでも、言い方は違っても、目標を定めるものです。会社でさえ「ビジョン」という言葉を使うようになりました。なぜ目標、ビジョンが必要か。なぜなら、教会はたえず前進を続けているからです。もう私たちの役目は終わった。完成した。成し遂げた~って教会、一つもありません。

黙示録でラオデキアの教会に主はこう言われるんです。「あなたは、自分が富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。わたしは愛するものをしかったり、懲らしめたりする。あなたがたは熱心になって、悔い改めなさい。」

ラオデキアの教会に対して、何を主は叱責しているのか。それは、「自分はもう富んでいる。豊かになった。欠けてるものはなにもない。」と言っていることに対して、叱っているのです。

私たちもそうです。もう自分はこれでOKと留まっていたら、なまぬるい!悔い改めなさいと言われる。

バプテスマのヨハネが、開口一番、宣教運動を開始したときに、発した言葉はなんだか覚えてますか?マタイ3章2節によれば「悔い改めなさい。天の御国は近づいたから」

ではイエス様の開口一番はなんでしょうか?実は、バプテスマのヨハネとまったく同じなんです。マタイ3章17節によれば「悔い改めなさい。天の御国は近づいたから!」

初めに口にする言葉は大事です。その人自身がいったいどんなメッセージを伝えたいのかを表すものです。「悔い改めよ」英語で言うなら「Repent」。どういう意味ですか?これは、単なる「ごめんなさい」すればいいんじゃないんです。方向を変えなさい、という意味です。Changeなんです。ヨハネもイエスも、あなたの人生の方向性を変えなさいと言ってるんです。

キリストをまだ受け入れてない方。あなたの方向性を変えるときはいつですか?そのままでいいですか?

よく、教会に長い間、求道している方で、どうして信じないのか。いや、信じれないわけじゃない。信じてもいいんだけど、なんでクリスチャンにならないか。その主な理由として、今の生活の変化を嫌うわけなんです。自分の今までの築き上げてきたアイデンティティーを崩せない。捨てれない。培ってきた習慣や価値観をゆずれない。変化は、誰にとっても、痛みを伴います。労力を必要とします。だから、信じれないんじゃなくて、信じない、って決めてるのです。

これは、クリスチャンにおいても、しかりです。イエスは信じていたとしても、この部分はゆずれない。変わることを拒む。でも、聖書は常に言います。自分の考えの中でクリスチャン生活をする人。Repent! Change!!

新しい年は、新しいことをチャレンジしやすいものです。心機一転のチャンス。「今年こそは」と誰もが口ずさむ。神様の力をいただいて、そして一歩を踏み出す。この2005年は、あなたにとって、新しい生まれ変わりに年になってほしい。I want you go to your next stage.

これは、今年のビクトリー西日本最大の賛美集会のテーマでもあります。

教会も2005年は飛躍的に変わっていくでしょう。NEXT STAGEに進んでゆきたいと願っています。礼拝についても、ふれあいセンターなどを定期的に借りて、音楽にも力を入れて、質的・量的に広げてゆきたい。そして、新しい会堂も願っています。新しい教会堂が建ったら、新しい教会の名前もつけられていくでしょう。

皆さん、この津島キリスト教会は、成長してゆきます。今ここにおられる方は、そのコアです。核です。なぜ成長するとわかるのか。それは神様がここに集めてくださってる人が、とっても素敵な人ばかりだから。世の中に切り込んでいけるシャープな人が多いからです。

ある方は、「この教会の成長っぷりを見ていきたい。成長してるその過程が楽しい。自分がそこにいれることは嬉しい」と言ってました。とても嬉しいことです。

この神様が動かしている成長の真っ只中に、皆さん自身が入り、刻み込んでください。教会も、そして、一人ひとり個人も新しい分野に進んでいきたいものです。

そして、新しいチャレンジには、困難がつきものです。必ずネクストステージに移る過程の中で、様々な壁が生じるものです。聖書は、あらかじめそれを言っている。神様はあなたを愛しているから、あなたを成長させたいから、あなたを神様の目的のために、それを実現させるために、訓練させる場合があります。あえて試練の中に投げ出されることがある。

マタイの14章では、イエスが弟子たちをほらほらって言って、強いて船に乗り込ませたという記事があります。その後、弟子たちはどうなるんですか?そうです。嵐に遭遇するんです。イエス様は、これからガリラヤ湖が嵐になることを知ってたと思いますか? はい。イエス様はもちろん知っていました。ですから、嵐になるタイミングで、ほれ行きなさいと、嵐の真っ只中に投げ出された。で、弟子たちは案の定、恐れた。恐れた弟子に、イエス様は水の上を歩いて言って「わたしだ。恐れるな」といわれる。

私たちは人生の荒波の中で、恐れることがあります。でも、「わたしがともにいるんだ。だから、恐れるな」ということを学ぶ必要があります。

成長のために、向きを変えて、困難かもしれない新しい一歩を踏み出す必要があります。今日ここで、皆さんにチャレンジします。あなたは、今のままでいいですか?それとも、主の力を帯びて、変わることを願い、一歩進み出ますか? ある人は信仰決心かもしれない。ある人は洗礼決心かもしれない。ある人は、生涯神様のためだけにささげます。献身の決心かもしれない。あるいは、ある人は、家族に証することかもしれない。ある人は、ゆるせなかった人にゆるしを言い出すことかもしれない。人それぞれ何か具体的な何かは違う。でも、この御言葉は、すべての人に語られている。

「見よ。今新しいことが起ころうとしている。」

もし、みことばを本気で受け取って、信じて、一歩を踏み出すなら必ず、変われるはずです。メッセージを聞いても、聞いた前と、聞いた後で、なんにも心の中で変わらないなら、何かがおかしい。

降参しないで、自己を主張して、自分をゆずろうとしないか(折れようとしないのか)、もう自己が支配しているのか。罪にどっぷりつかって抜け出せないでいるのか。

もしそういう人がいれば、その人は、主の声が届きにくくなっている。イザヤの59章1、2節において、「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。 あなたがたの咎 が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、 あなたがたの罪 が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」

あなた自身の罪が、あなた自身のゆずらない自己主張が、リペント、変わることを妨げてる可能性があります。

前回もクリスマス礼拝で言ったように、先週ダビデ先生がおっしゃったように、罪の告白が大事なんです。いつも主の前にへりくだって、自己点検して、私は罪人です。あなたの血潮が必要なものです。と、悔い改めつつ、いつも主の十字架に頼るべきなんです。その人は成長しますし、どんどん新しいものを取り入れていくはずです。

先週、しばらく祈る時間がありましたよね。皆さんは、どんな祈りをささげましたか? 発表する必要はありませんが、私はこういうことを祈りました。

「いかに自分を喜ばせることに時間を費やしてきたことか。そして、自分のために苦しむことはあっても、キリストのために苦しむことはどれだけあったか。キリストがどれだけの犠牲を払って私のためにしてくれたか。Amazing loveの賛美がよみがえってきて「どうしてそこまで。私のために。そこまでしてくれたから、私に命が。」 キリストのために生きる者となっていきたい。」と祈りがこみあげてきました。

自分自身のためのNEXT STAGEではなく、キリストのために、次のステップを進んでいきましょう。