牧師メッセージ 2004.12.12
ヨセフの信仰/Joseph's Faith
マタイ1:19~25
イエス様の義理の父親、ヨセフに今日はスポットを当てて、聖書からメッセージを受け取ってまいりたいと思います。だいたい、いつもマリヤにスポットが当てられますよね。メッセージでも、ページェントでも、像が作られるのも、だいたいマリヤ。ヨセフ像ってまだ見たことないです。
特に、カトリックでは、マリヤ信仰ってのがありますよ。聖母マリヤ。私たちプロテスタンとは、マリヤ様~って言って、置物を作って、祈ったりしない。でも、信仰者として見習うべき点が大いにある。でも、どうして、ヨセフはあまり取り上げられないのか?子供たちの聖誕劇も、マリヤにはスポットがあたるのに、ヨセフは準主役のような…。でも、ヨセフは驚くべき信仰の持ち主です。大変なシチュエーションをくぐり抜けていきました。
ヨセフの不安は、どんなものであったかわかります?聖書を読むとき、イマジネーションを働かせて、読まなきゃダメです。想像力が大事。
18節を見てみると、まだ結婚もしてないのに、マリヤが身重になってることがわかったんです。「その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。」
処女降誕は信じられない人がいたとしたら、もし婚約期間中に、自分にまったく身に覚えがないのに、フィアンセ、相手のおなかがどんどん大きくなってきたら、どうですか?「やってられるか~!」の世界ですよ。おそらく、婚約破棄。損害賠償請求ものですよね。
(ある教会では、処女降誕は非科学的だから、そんなに信じなくてもいいんですよ~、と言う。私たちの教会は、信じます。当たり前のように、信じます。全能の神様なら、当たり前。罪の性質を受け継がないために、イザヤ7:14の預言通り、処女を通して、メシヤは生まれなくてはならなかったのです。)
このときのヨセフの気持ちわかります?お察しできます? 複雑だったと思いますよ。でも、19節、「ヨセフはさらし者にしたくはなかったので、内密に去らせようとした」とありますよね。これはどういうことかといいますと、当時のイスラエルの結婚事情を申し上げなければならない。
だいたいですね、イスラエルではもう小さい頃から、親同士が「うちの子供もらってくださいね」「親戚なりましょう」って決めるわけですよ。同じ部族同士。で、思春期迎える頃には、もう結婚ですからね。イスラエルの成人が13歳です。女性は14,5歳が適齢期なんです。だから、おそらくマリヤも14,5歳。18歳は絶対超えてないと思います。それで、結婚する前に、婚約期間というものがあるんですが、これが1年あったわけなんですよ。で、この一年間、ほぼ一緒に生活するんです。そして、結婚式が町中、村中あげて1週間お祝いするんです。規模がでかい。
そして、もし姦淫がバレたらどうなるか、石打の刑です。だから、マリヤが妊娠して、ヨセフが怒って、この女は姦淫した!って告発したら、石打の刑だったんです。だけど、ヨセフは正しい人で、さらし者にしたくなかったので内密に去らせようとした。彼はとても立派だと思いません?
でも、そんなヨセフに、ちゃんとみ使いは、マリヤのところだけじゃなくて、ヨセフのとこにやってくる。
20節「彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
さあ本当に悩んでいたヨセフのとこに天使がやってきて、「恐れるな」。皆さんだったら、どうですか?生物学的に不可能、本当なら法律なら石打ち。実に覚えがないんだから。誰か他の男となんかあったに決まってる!と思うでしょ?でもそこに夢とは言っても、天使がやってきて「安心して、マリヤを妻に迎えなさい」と言っても、どうですか?
ヨセフはその後、どうしたんですか?天使に命じられた通りにしたんです。ヨセフも大した信仰です。 マリヤはね、なんの身の覚えもないから、だんだんおなかが大きくなってきたら、「やっぱメシヤが宿ってるんだ!」ってわかりますよね。でも、ヨセフはどうですか?信仰をもって受け止めない限り、マリヤとこれから結婚なんかできないですよ。マリヤもそうですが、ヨセフも純朴な信仰の持ち主です。あなたの信仰はどうですか?
二人ともいろんな不安や恐れがある中で、これからどうなるんだろう?思い巡らしたとありますが、本当に悩んだと思います。でも、それを信仰によって受け止めた。信仰によって受け止めてどうなったんですか? 救い主が誕生したんです。マリヤだけが信仰をもって受け止めたんじゃない。ヨセフも一緒に、そのことを信仰をもって受け止めたとき、身重のマリヤをサポートして、裁判にかけることもなく、宿屋を探し回ってくれて、馬小屋を見つけてくれたんです。救い主の誕生に大きく貢献したんです。
ヨセフは他の人が経験できないような不安、恐れを経験しましたが、
私たちもいろんな不安を抱えています。今ここになんの不安もない。一点の曇りもないって人は、おそらくいないでしょう。明日はどうなるんだろう。先の見えない不安。あなたの明日は誰も確証できない。いくら保険に入ってても、どうなるかわかりませんよ。聖書も言ってますよね。金持ちが、保険でもかけるかのように、蔵に食物など貯蔵するわけですよ。それでこう言うんです。「よっしゃ。これで、あと何年も大丈夫だ~」そしたら、「あなたの命は明日とられる。」
もし、あなたが神様以外のものに安心の根拠を置こうとするなら、あなたの将来は不確かです。必ず、その平安は奪い去られます。発達した医療技術も、デイケアも、サプリも、あなたの明日を保証するものではない!でも、この命を与えらた神様に身も心もゆだねるなら、何の心配があるんですか? ヨブが言ったように、こう言うことができるんです。「主は与え、主はとられる。主の御名はほむべきかな!」
マリヤにとってヨセフの存在は大きかった。ヨセフのサポートなしには、マリヤは不安に耐え切れなかったでしょう。神様はマリヤを選んだように、ヨセフもお選びになった。大きな試練を通らなければならないいばらの道を。
マリヤにはですね、天使を通して、神様は「恵まれた方、マリヤ」って言うんですよ。それがいわゆる「アヴェマリア(グラツィア・プレーナ)」というカトリックでマリヤ崇拝されてしまってる言葉ですよ。
恵まれた方!おめでと~!って言われるけど、そこに待ってるのは、一見恵みとは思えない。いやまさに試練と呼ぶに相応しい。そんな恵み。皆さんよろしいでしょうか。この中には経験された方もいるかもしれない。試練を通して出なければ、わからない恵み。そこを突き進んでいかなければ、到達できない恵みがあるんです。
神様はあなたに順風満帆な平坦な、楽な人生をお与えにならない。 なぜなら、恵みを与えているから。神の恵みは、弱さを通してあらわされる。神の恵みは、つらいことを通していかんなく発揮される。神の恵みは、いばらの道でこそ、逆境の道でこそ、すさまじくあなたの人生の只中に現されるんです。
子供たちもこれから大きくなるにつれて、絶対思い通りにならないことがたくさんある。つらくって涙がポロポロ流れちゃうことがある。楽な毎日をお与えにならない。そんなとき思い出してほしい!神様があなたを愛しているからこそ、強くなってほしい。神があなたを造られたことをわかってほしいために、試練とよぶ 苦しいことを与えられる。つらいことが起こったとき、そのとき「神様!」と祈ってほしいです。
子供も大人も、ヨセフとマリヤが通ってきた試練を思い起こし、それでもなお、それでもなお、神に信仰を持って、強く歩んでほしい。
主がともにおられます。29節。
この神様は、あなたの神です。わたしの神と言えるんです。誰も僕の苦しみなんかわかってくれない。誰もわたしのことなんか気づいていない。そういう孤独、存在感が薄く感じられるとき、「主よ。あなたは私の神。You are my God」といえるんです。一人じゃない。それがインマヌエルの主です。遠いお空で、ピンチのときに降りてきてくれる神じゃない。イエスは地上に降りてくださった。そして、今は聖霊様という形を通して、もっと近くに、インサイドユー インサイドミー、あなたの内側に、おられる。
メリークリスマス。もしあなたが苦しむなら、主がともにいて、いっしょに苦しんでくださいます。一人じゃありません。